中矢 礼美 准教授
大学院人間社会科学研究科
国際教育開発プログラム
中矢 礼美 准教授
専門分野:地域カリキュラム、
平和教育、
グローバルシティズンシップ
平和な世界を創る教育を目指す
お互いを鏡として多様性を認め合う比較教育学研究
私がインドネシアの研究を始めたのは、大学時代の出来事がきっかけでした。インドネシア人の友人から、第二次世界大戦中に日本がインドネシアを植民地支配していたと聞かされ、友人の国に対する自国の行いについて無知だったことに強くショックを受けました。
改めて世界史の教科書を読み返しても「日本軍が南下した」としか記載されていませんし、図書館中を探しても詳しく記載されている本は見つかりません。これではいけないと感じた私は、日本がインドネシアに与えた影響や現在の状況を広く伝える必要があると使命感を抱きました。当時は教育学部に所属していたため、大学2年生からインドネシアの教育に関する卒業論文に取り掛かり、3年生では学校のフィールドワークも実施しました。国家の近代化と教育の機能、先進国と途上国の間の世界システム論に注目しながら、インドネシアの人々が、国家の独立を経て、国家の統合と開発に向けて、どのような国民形成教育を実施してきたのかについて研究を始めました。よくよく調べると既にインドネシアの社会や教育研究の大家はいらっしゃったのですが、自分らしい見方で研究を進めていくことを目指しました。
大学教員になった今もインドネシアをフィールドに研究を続け、日本をはじめとする世界中の教育制度や文化と比較検討しています。インドネシアには、教育に新しい考え方や技術を積極的に取り入れる姿勢があります。コンピテンシーカリキュラムもその一つ。コンピテンシー(=生きる力)という言葉の通り、社会で生き抜くための能力の習得を目標とし、逆算して学校で何を学ぶべきかを決定します。例えば、民主主義を守るため、デモを成功させる能力を身に付けるべく、計画から行進の仕方までを授業で扱う学校もあります。インドネシアでは軍事独裁政権の末期から教育の地方分権化が進められ、地域の人々による教育開発が行われてきました。様々な教育改革で国を変えていこうという強い意志と行動力は、日本にはない素晴らしい点だと感じています。ただしそこには教育改革を十分に行う制度設計や充実が図られる以前に一部の改革を行うために整合性を失うことも多々あります。そのような点を指摘する際には日本や他国の制度からの視点を用いることとなります。
例えば、日本の教育制度の中でインドネシアの行政官や教員たちに紹介して高く評価されてきたのは、学区制です。学区内の子どもたちを同じ学校に通わせ、保護者と地域と学校が三位一体となって育てることで、学校への愛着を形成できるからです。学区制のないインドネシアでは、裕福な家庭の子どもは送迎により遠方のレベルの高い学校に通えるため、貧富の差が教育格差につながっているという実情や地域カリキュラムを学校がコミュニティとともに実施しづらいという問題がありました。また、もう一つ日本特有の美点として挙げられるのは他人に迷惑をかけないための規律を徹底的に教育する文化です。細かいルールを小さい頃から教え込まれることにより、私たちは無意識のうちに周りに迷惑をかけないよう振舞っています。これらは日本が世界に誇る立派な制度や文化ですが、そのまま他国で導入すれば良いかといえば、そうではありません。学区制の前提には、日本のように先生が学校間を流動的に異動し、教育の質が担保されていることがあります。インドネシアでは現在は学区制を取り入れようとしていますが、日本のような教員配置制度が未整備であるため、実際には多くの問題が指摘されてうまくいっていません。また、規律を守ることは大切ですが、周囲に迷惑をかけまいと気遣うあまり、自分の意見を言えなくなるという負の面もあります。インドネシアの学校では、自由な発言は教室内で多くみられます。また先生がベビーシッターを雇えない日には、授業を受けながら生徒が先生の子供の見ていることもあります。お互いに迷惑をかけて助け合える文化も素敵ではないでしょうか。
教育制度や文化を比較することで、お互いを鏡として双方の教育の特徴を明確にし、より深く理解できます。優劣を付けずそれぞれの在り方を認め合うことを大切にしたいと思います。
教育の選択肢は幸せにつながる
インドネシアは約1万3000の島々からなる世界最大の島嶼国家であり、約400もの民族から構成されています。政治や社会、文化、経済、宗教、歴史、地理的条件などがさまざまであるため、地域によって教育の位置づけは異なります。したがって、国やユネスコなどの国際機関による一律の教育政策やプログラムだけでなく、地域の多様な文化やニーズに沿ったカリキュラム(地域カリキュラム)が必要です。
日本の義務教育における「総合的な学習の時間」のようなイメージでしょうか。実際にそれぞれの地域において必要な教育は、各地域と教育の関係について良く理解している専門家でないと分かりません。このような背景があり、私は地域そのものや地域カリキュラムについても研究しています。
研究者として意識しているのは、万人にとって“良い”教育は存在しないということです。人それぞれ幸せの形もそれへのアプローチも異なるため、誰もが偏差値の高い学校や人気の就職先を目指す必要はありませんし、中レベルの学校や給料でゆるやかに暮らすのも一つの選択肢です。さまざまな考え方を持つ人々が自分に合った選択肢を柔軟に選び、各々の幸せを実現していける環境づくりに寄与したいと思います。
平和は地域の人々の手で創るもの
私はJICAの平和教育研修コースでコースリーダーを務めていたこともあり、平和教育やグローバルシティズンシップの研究も行っています。グローバルシティズンシップとは、平和教育をグローバルな視点で行う方策について考えるものです。
平和教育で大切なのは、その国の人々が自ら平和を築けるようになること。途上国の人々が自分たちで教育を開発し、実践と評価を繰り返して平和な社会を創るお手伝いができればと考えています。平和教育においては、まずさまざまな形の暴力について理解を促します。暴力とは殴る蹴るといった直接的、物理的なものだけではなく、貧困など社会構造に由来するものも含みます。多様な暴力に敏感になり、自分が暴力を振るったり振るわれたりする現状に気付くことが、暴力をなくす第一歩と言えるでしょう。次に、暴力の根本的な原因について考えます。自国に多くみられる暴力の形態とその原因が分かれば、それを断ち切るために必要な教育が自ずと明らかになります。
途上国の人々が自ら国の在り方について考え、未来を描いていくことに意味があると考えるのは、インドネシアのアンボン島での経験があるからです。現地の人々が自分たちの歴史を知り、それを基に築く未来を切り開くのを支えることが私の役割だと思いました。アンボン島はかつて宗教抗争があった土地で、私が訪れた際、復興のために平和教育カリキュラムの作成を依頼されました。しかし、私は依頼を断りました。なぜなら、何世紀にもわたる現地の人々の確執やその克服の「歴史」あるいは実情を知らない部外者が、カリキュラムを提案すべきではないと考えたからです。私にできるのは、カリキュラムの作り方や他地域での地域カリキュラム開発と実施の失敗例を伝えることだけでした。また、私が島の発展と教育の歴史を調べていたところ、歴史家の先生に「歴史を知りたければ、本を探すのではなく現場に目を向けなさい」と助言されました。アンボンに残っている歴史書は、オランダ領であった当時の様子がオランダ語で記された本をインドネシア語に訳したものに過ぎません。その地域の「歴史」は、今を生きる人々が取捨選択しながら描くものだと教わったのです。これからの島の平和の歴史の創造は、当事者が過去の「歴史」の振り返りと教育を通して実施していくものであり、部外者は必要とされる場合にのみ、役立つ情報やスキルを示していくことが大切です。どこかの国の平和教育を真似するようなことや押し付けるようなことがあってはなりません。
一歩ずつ幸せを実践していく
先進国から途上国への一方的な支援ではなく、お互いに学びあい、助け合う形が国際協力の理想です。よく「途上国の子どもたちを救済したい」という人がいますが、大それた目標は必要ありません。
大学生の頃、私が国際開発系の仕事に就きたいと母に伝えた時、まず家のお風呂を洗うよう言われました。自分や家族のために家事もできない人が、海外の人々の役に立てるはずがないと教えられたのです。身近な人を大切にすることから始めて、他人の幸せに地道に貢献できる人が、国際協力において多くの人を幸せにできるのではないかと思います。
国際教育開発プログラムには、誰とでも平和なつながりを築ける人に入学してもらいたいです。研究の中で出会う世界中の人々と切磋琢磨しながらそれぞれの国の教育の在り方について議論し、助け合い、学びあえるプログラムにしていきたいと思います。